香港
- Day:2019.12.16 18:57
- Cat:その他雑記
香港のことだ。
中国、韓国、モンゴル、台湾 – 私たちが俗に「東アジア」とくくって呼ぶ国や地域。
その中で実際に訪れたことがあるのは台湾。
けれど、もっとも私が親しみを感じ、ビジネスではない、プライベートな興味を持っているのは香港だった。
それはひとえに、香港には多くの、友人と呼べる人がいるからに他ならない。
私は大学時代に一か月半だけ、カナダで行われたサマースクールに参加していた。
そこには香港の大学生のグループも参加していて、そのうちの何人かとは滞在中それなりに長い時間を過ごしたし、彼ら彼女らが日本に来た時には日本を案内したりした。
SNS上でも交流が続いていたし、うち一人にはつい一昨年も会っている。
そんな友人たちが暮らす香港が、大変なことになっている。
それを知ったのは6月のことだった。
正確に言えば、6月の時点では「大変なこと」とは思っていなかった。
大規模なデモが起きていて、でもきっとひと月もしないうちにはどんな形であれ、決着するだろう。
そんな無責任で、根拠のない予想を私は持っていた。
現実はどうだろうか。
いまも香港は混乱の渦中にあり、友人のSNS上には比喩的にその苦しさを伝える投稿が上げられていた。
(直接的に書かないのは、書けない理由があるのだろうと思っている)
直接メッセージも受け取った。
「どうか香港で起きていることを周りに知らせてくれ」と。
私はこう返信した。
「わかった、広める。それと…」
そのあとに続ける言葉を選び、彼女に返信するまでに私には結構な時間が必要だった。
「頑張って」- 何を「頑張れ」?政府に抵抗することを?その結果、彼女が危険な目に遭ったとしても?
「無事でいて」- 安全な場所に居て、その結果彼女が大切にしている場所が、価値観が、失われたとしても?彼女にとって、香港の人々にとって、それは望ましいことなのか?
香港の友人たちに、傷ついてほしくない。危ない場所に行って欲しくない。
彼ら、彼女らの多くは結婚し、幼い子供もいる。無茶はしないだろう。
けれど彼ら彼女らが何もしなければ、友人たちが誇りをもって「自分たちはHongkongneseだ」と言っていた、その拠り所である香港の自由と価値観が損なわれる可能性が高いのだ。
結局私はこう書いた。
“I will be with you”-私はあなたたちと共にある、と。
文字通り海の向こうの対岸で、画面越しに今回の出来事を眺めているだけの人間が言うそんな言葉の、なんとむなしいことか。
先月は、友人たちの出身校が騒動の舞台になっていた。
私ですらその名前を聞いて、慄いたのだ。ついに、大学まで。それも、友人たちの出身校の敷地内で、人が傷つけられている。
彼らがどんな気持ちでいるか、私には想像することすら出来ない。
彼女たちの身がこれ以上危険に晒されないでほしい。
けれど同時に香港の自由と権利が-それが友人達にとって大切なものであるのならば-保たれてほしい。
そんな勝手な願望を、私は抱いている。
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